YRS Racing Team「'2014 FUJI1000km」レースレポート

レース名:'2014 K4-GP 「FUJI1000km RACE」(8/13-14)
レースコース:富士スピードウェイ(1周4.563km)
出場台数:127台 完走台数:127台
入場者数:13日約1,500名、14日約2,500名 合計約4,000名

8月13・14日「FUJI1000km Endurance Race」の公式練習と決勝が行われました。
13日の夕方までは何とかお天気が持ちましたが、14日は早朝から空模様が怪しく今にも雨が降ってきそうな気配の中スタート準備が進みます。
FUJI1000kmは予選が無くスピードの速いクラスから順にグリッドが組まれるため、GP-Ⅱクラスの123号車はほとんど最後方のグリッドです。
そして午前8時ちょうどに変則ル・マン方式でスタートしたエッセ123号車は、直後の混乱もスムーズにかわし順調なペースで周回を重ねていきます。
7~8周を過ぎたあたりで心配されていた雨が降り出し、最初は小雨模様でしたが時間の経過とともに雨量も少しづつ増しはじめます。
難しいウエット路面の中慎重にラップを重ねクラス30位ぐらいまで順位を回復したところで最初のルーティンの給油とドライバーチェンジ。
2番手ドライバーからは3時間のロングスティントになりますが、変わったあたりから雨が一層激しさを増してきました。
激しさを増した雨の中でクラッシュしてストップするマシンも多数出始め、セーフティカー導入の回数も増え何度もレースが中断されます。
レースも5時間を過ぎ2回目の給油とドライバーチェンジも無事に済ませ勝負はこれからと雨足の弱まった隙をついて44秒台のハイペースでラップを重ねます。
3度目の給油はドライバーチェンジ無しのダブルルーティンで一気に順位を上げ、総合30位台に突入!
そして最後のドライバーチェンジも無事に済ませ、123号車はゴールを目指して雨の降り続くコースへ戻ります。
その後もリスクの高いウェット路面を安定したペースでラップを重ね、よろこびをパッシングであらわしながら無事1000kmのチェッカードフラッグを受けました。
YRSエッセ123号車は出場127台の中で総合35位・GP-Ⅱクラス17位でフィニッシュ、そしてK4-GP6連続完走と価値ある成果を残しました。
次戦の予定は来年2月に富士で開催される7時間耐久です。

以上がYRSを応援頂いて頂いている企業様にお送りさせて頂いたレースレポートです。
と言ってもセパン出場の時にどうしても資金が足りなくなって数社にご協力頂いた以外はお金を頂いてレースをやった事は一度もありません。
YRSのレース資金はすべて、皆さんに使っていただいているレーシングパーツの利益とボクの個人資金で活動しています。
どうしてもショートした時には、一部の企業様に一時お立て替えて頂いて、あとから商品納入や作業でお返ししたりさせて頂いております。
本当に限られた資金でマシンを制作しレースに参戦していることをわかって頂ければ幸いです。
上記のレポートだけだとレースは何事もなく無難に終わったように見えますが、実は今年の1000kmは今までに無く大変な戦いでした。
今回は少し変わったレポートの書きかたになってしまいましたが、もう少し深くYRSとそのレース活動を理解して頂きたいと思いました。
実は今回の1000kmの前7月1日に123号車の車検があって、取得後にもう一度富士仕様に戻すといういつもとは違う必要外の作業がありました。
そこで1回目の躓きが発生しました。
車検で必要なロードクリアランスでアライメントを調整し車検取得後元の諸元に戻したはずの足廻りが、表向きの数値では元に戻っているはずなのに何故か以前のようなキレが無くなってしまったのです。
今回ホイールを新しいオフセットの物に変更したり、4Pのロールバーを装着したのが微妙に影響したようです。
おかしいなと思いつつまだ日数的に余裕があったので、室内温度低減の為にルーフにミラーフイルムでラッピングしようとして2度も失敗して貼りなおすことになってしまいました。
外注に出すお金をケチったために、大切な時間を大きく消耗してしまったのです。
慢性的な資金不足のYRSの弱点をさらけ出したような失態でした。
エンジンも高速化を狙ってエキゾーストを変更しバージョンUPを図ったのですが、エキゾースト変更に伴うe-manageの新しいマッピングが不発に終わり、その後2度入れ直したのもダメで、レース前日の公式練習終了後に再度打ち直して本番に一度も走らせた事の無いマップで挑むという暴挙に出てしまいました。
レース中ずっと変なバイブレーションに悩まされていたのですが、たぶん最後に入れたマップのせいかと思います。
エンジンが壊れなかったのは雨のおかげだったのかもしれません。
今思えば7月19日の1回目の合同テストが雨でエンジンや足回りのセッティングがちゃんとテストが出来なかったのが痛かったです。
そして次の8月2日の合同テストの時には、午前0時過ぎにに出発し名阪国道を走行中になんとシフトロッドのボルトが脱落して立ち往生するというとんでもないハプニングが発生!
引き上げに来てもらってガレージで修理し明け方にもう一度富士に向けて出発、寝ないでテスト走行してまたとんぼ返りで帰るというとんでもない事件が起こりました。
今回クラッチをO/Hした時にシフトロッドのミッション側の取り付け部がナメてしまい補修したりと、シフトロッドのトラブルの前兆はすでにあったのを見逃してしまったと言わざるを得ません。
今回は本当にイロイロとミスを連発したにも関わらず、レース中には何事も起こらず総合35位クラス17位という過去最高の成績で無事完走できた事はYRSを見守って下さっているレースの神様のおかげだとと感謝の気持ちでいっぱいです。
ただボクとしては全く喜べないそして最悪のレースだった事も事実で、なかなかレポートを書くことができなかったのはその落胆のせいです。
今回はいろんな事が起こり過ぎたというか、まだまだエッセの事がわかっていないなと痛感しました。
終わってしまったレースをいくら振り返ってももう一度走ることなど叶わない事です。
今回の失敗を真摯に受け止め、今後のマシン製作に生かせていけたらと思っています。
このレポートを読んで下さっている皆さんは、YRSの本当のファンの方だと思います。
来年の夏は24時間耐久になるとの噂も出ています。
今後ともYRSレーシングチームを、更なる応援よろしくお願い致します!